社員ブログ
「水害対策…その先のために」
2018.11.20
 以前ブログで紹介した「バリアフリーのある歩道」で紹介した天満川沿いでは現在、堤
防の嵩上げ事業『天満川高潮堤防工事』が進められています。
国管理河川で太田川水系洪水浸水想定区域に指定されており、国が2011年5月に太田
川水系の河川整備計画を策定し、概ね30年にわたる計画です。
天満川は、横川の南側で旧太田川(通称本川)と分流し、広島市西区と中区の境界を南に
流れ広島湾に流れ込む一級河川です。
昨年4月に公表されたものによると浸水深のシミュレーション内容は
概ね200年に1回起こる大雨で、太田川流域において2日間の総雨量が396mmの降
雨がある場合により、天満川が氾濫したことを想定しているそうです。
広島市洪水ハザードマップで確認したところ、私の住んでいる地域で想定される浸水深は
0.5〜3mでした。地盤高さの関係はありますが、1階の全てが浸水する可能性があると
のこと…
ちなみにHP等で現在の水位を常時確認することができます。
下流域では元安川、旧太田川(通称本川)もこの整備計画に入っていますが、2つの計画区
域には約30の慰霊碑があり、移設の必要性があるため未着手となっているのが現状です。
天満川沿いでは河口部から上流に向けて順次工事は進んでおり、既に完了している箇所も
あります。現在は、私の地元周辺が工事中です。
工事中の写真を見ると以前との高さ関係がより分かりやすくなっていると思います。以前
より1m以上は高くなっています。
■完成した河川敷(中区側を見る)
■完成した河川敷(西区側を見る)
■現在工事中の写真(西区側を見る)
実は中区側と西区側では堤防が異なって
いる部分があります。
中区側は遊歩道や緑地公園になっている
部分があり、多くの樹木やベンチの設置
により人の行き交いがあります。
春には川沿いの桜は咲き、美しい景色を
醸し出しています。
よって中区側はなるべく樹木を現存した
まま工事をする配慮がなされていました。

2018.09.19
〜天守復元から広島の復興を見守り60年〜
 昨今のお城ブームに乗っかり私も旅先にお城があれば観光ルートに入れておりますが、
一番近くにある広島城は過去行ったことは有りますがあまり記憶に残っていません。
今回改めて見学してみました。
現在の広島城が復元されてから今年で60年。人で言うところの還暦の節目の年になりま
す。初代の広島城は毛利輝元が1558年(天正17年)から10年の間で築城された輪
郭式平城。完成の翌年、関ヶ原の戦いにおいて輝元率いる西軍が敗れ輝元は周防、長門へ
移された後福島正則が入城。20年あまりで城下町を含めて整備が進められたとされます。
その後は和歌山から入城した浅野氏12代が城主を勤めました。明治の廃藩置県以降広島
城一帯は多くの軍事施設が置かれていて昭和20年の原爆投下で広島城周辺の建物がほと
んど倒壊しました。倒壊材などは焚き物材として持ち去られたり家具製造業者や製塩業者
に燃料として払い下げられたりと戦後復興の為に使われたそうです。復興の為に使われた
のであればやむをえない事です。
2代目天守は昭和26年国民体育大会のパビリオンの一つとして木造仮設の天守が建てら
れました。現在私たちが見ている天守は3代目です。昭和32年に広島復興大博覧会を期
に外観復元され昭和33年郷土博物館としてオープンしたものです。全国に現存する91
城の内、外観復元されたお城は9城ありその内の1つです。
御門橋を渡り表御門、二の丸に入ります。平成元年から6年の間に木造復元されたもです。
表御門、太鼓櫓、多聞櫓、平櫓などを周囲に配置し内部には
馬屋、番所、井戸などの施設を設け本丸を守る馬出の機能を
持った区画となっていたようです。
太鼓櫓:2重2階隅櫓、入母屋造
多聞櫓:1重渡櫓、切妻造
平 櫓:1重渡櫓、入母屋造
平 櫓
二の丸から本丸への序口である、
中御門跡の右側の石垣。
鏡石と言われる大きな石が組み込
まれています。
情趣の威厳を見せ付ける為のもの
で毛利時代に積まれました。
 私は吉備津神社を写真では見たことがありましたが、実物を見たのは今回が初めてでし
た。実際に見てみると建物の壮大さに驚き、2つ並んだ入母屋部分が想像以上に美しく感
じました。この入母屋の部分は駐車場から見上げると樹木の間からも垣間見ることができ
ます。当然、樹木の剪定は行われていると思いますが、外部からの建物の見え方にも配慮
されているのだと思います。この見せ方を今後の業務で再現していきたいと考えています。
の役割を担っています。そして、なぜこの建物には高速道路が貫通しているのかという点に
ついては以下の理由からなっているそうです。

元々この土地の地権者が社屋を改築しようとしたところ、都市計画によってすでに高速道路
が通ることになっていたために建築の許可が下りなかった。しかし両者共に譲れなかったの
で約5年間という歳月をかけて交渉をし、ビルに道路を通すことで話がまとまりました。
ここで思うのはよくこんな奇策が通ったなという印象です。聞くところによると、当時この
土地は一等地で 地価が高く阪神高速側にとっても土地を買収するよりも区分地上権を
設定するほうが安上がりというメリットがあったそうです。このビルを建てるに当たって
1989年に道路法、都市計画法、都市再開発法、建築基準法の一部が改正され、新しく立
体道路制度の制定や規制緩和がされました。これによりこのゲートタワービルは日本で初め
て立体道路制度を利用した建物になります。

 阪神高速が通った建物は他にもあり、東西約930mの2階〜4階建てビルの屋上が道路
となっている「船場センタービル」や建物の西側に道路が通っていて建物が橋脚の一部となっ
ている「朝日新聞ビル」があります。また、県外だけでなく地元でも気になった建築物があ
ればぜひ足を運んでみようと思います!
2018.01.30
瀬戸内の建物見学〈丹下作品を訪ねて!〉
 今治には、建築家の丹下健三氏が設計した建物が
たくさんあり、そのうちの今治市庁舎と今治公会堂、
今治市民会館の3つの建物を見に行きました。3つ
の建物は同じ敷地内に建っており、中央に今治市市
庁舎本館があります。この建物は1958年に竣工
され、重厚な縦ルーバーが特徴的です。近くで見る
と縦ルーバーには、角度がつけてありました。また
右隣には別館が2棟あり、こちらは、近代的なデザ
インで窓の両サイドの壁が特徴的でした。
 向かって左側には今治市民会館があり、1965年
に竣工しました。二階の縦ルーバーとコンクリートの
打放しが特徴で、あみだくじ状のガラス窓と大きくせ
り出した屋根が目を引く建物です。階段部分の手すり
子も繊細なデザインが施してありました。建物内にも
入ってみたかったのですが、この日は総選挙の期日前
投票が行われており入ることができませんでした。
今治市市庁舎 本館
 向かって右側には、今治市公会堂があり1958
年に竣工しました。斜めの側面が印象的で、建物側
面をギザギザの形状にした折版構造を採用し、その
折版構造を活かした内部空間となっているそうです。
(内部は、大規模な改修工事が行われたそうです)
今回は、台風の来る前日で天候は悪く、市民会館も
公会堂も行事が行われており内部を見学できなかっ
たのでまた、天気のいい日に行きたいと思っていま
す。
今治市市民会館
《北九州市旧門司税関》
 2つ目は北九州市旧門司税関です。
初代税関庁舎が焼失したため、2代目の税関庁舎
として1912年に建てられ、赤いレンガで造られ
た外観が特徴的な建物です。構造形式は一部木造
・コンクリート造です。 この建物は15年間使
われていましたが、1927年に税関の新庁舎が
現在の門司港湾合同庁舎地に移されてからは民間
の事務所や倉庫として利用されたそうです。
現在は1階が喫茶店、展示室2階が展望室として
利されています。展望室からは関門海峡を見渡す
ことができます。
《北九州市旧門司三井倶楽部》
2018.02.19
高速道路が突き抜けるビル!!
 昨年の夏、私は大阪へ旅行を計画した際にどこを観光しようかなと思っていたところ、な
んと高速道路がビルに貫通している建物があるというのです!私は興味を惹かれそこへ行っ
てみることにしました。
 3つ目は北九州市旧門司三井倶楽部です。
1921年に三井物産門司支店の接客、宿泊の為
の施設として建てられ、構造形式は木造2階建で
す。接客用の洋風の本館と和風の付属屋で構成さ
れており外壁の柱梁の骨組を外に見せるハーフティ
ンバー形式が特徴的な建物です。1922年にア
インシュタイン夫妻が2階に宿泊した部屋が当時
の状態で見学することができます。宿泊した部屋
を見てみたかったのですが、行った日が2階に上
がることができない日で見学することができませ
んでした。この建物は1990年に国指定重要文
化財に指定されました。

 門司港は近代化日本を支えた港街であり歴史を振り返る事が出来ました。建築物は、長く
保存(活用)する事によって、生きた歴史を刻む事を感じました。門司港駅は現在改修工事が
行われている為に、今回は見ることができませんでしたが、2019年に完成予定なので是
非見たいと思います。
  このビルの名はゲートタワービルで地上16階建ての
オフィスビルです。建物はほぼ円形の平面計画でダブ
ルコア形式が採用されています。そしてビル5階〜7階
には区分地上権の設定で阪神高速道路が通っています。


私はそれを一目見て衝撃を受けました。道路が貫通して
いる部分はどういう造りとなっているのか、騒音は大丈
夫なのか、疑問に思うところが次々と出てきました。
調べてみると、この高速道路とビル自体は一切接触して
おらず、互いに独立した構造となっているそうです。
道路の貫通している部分は前後を含めてシェルターに覆
われていて、それは

《TKPゲートタワービル》》
太鼓櫓
御門橋、表御門
太鼓櫓〜多聞櫓
多聞櫓〜平櫓
多聞櫓の下見板壁
多聞櫓内部
中堀り北側からの姿は堂々として
います。高さは天守台が12.4
0m、天守が26.60m、合計
39.00mもあります。中堀石
垣の出っ張った部分がいくつも見
られますが築城時の名残です。
かつては88箇所もの櫓があった
ようです。
2018.06.08
国宝吉備津神社
 先日、岡山県に在る国宝の吉備津神社に行ってきました。
大吉備津彦命を主神に祀る山陽道屈指の大社だそうです。この造りは『比翼入母屋造』と
いい、全国で唯一の様式であることから「吉備津造り」ともいわれています。本殿・拝殿
は過去2回の火事により焼失したそうですが、約600年前の室町時代に将軍足利義満の
時代に約25年の歳月をかけて1425年に再建され、以後は高度な技術を伝承しながら
(サスティナブル)現在に至っています。
2018.04.18
門司港散策
@ 道路又はビルの火災発生時の他方への延焼防止
A 自動車の排気ガスや飛散物のビルへの付着防止
B ビル壁面からの落下物の道路への飛散防止
C 自動車による騒音や振動の防止
本丸への序口
鏡石がある石垣
 現在工事中のところは車道が少し狭くなり、通りにくい箇所もありますが仕方ありません。
地球温暖化が叫ばれる昨今、ゲリラ豪雨や想定外などの言葉も日常的に使われており、いつ
起こるか分からない災害に対して、個々の責任ある行動や取り組みも問われる時代になって
いると感じます。その先のために…
天守閣の様式は複合連結式望楼型
5重5階というものです。
下見板張りで姫路城と比べ古風な
印象となっています。
内部はよくある郷土資料館。
天守閣への通路屋根は昨年コンク
リートの剥離、落下が確認され安
全対策の為鉄骨造の屋根が設置さ
れました。
駐車場からの見上げ
回 廊
 先月九州へ旅行に行く機会があったので明治時代から昭和初期に建てられた建築物が今
でも残る門司港を散策することにしました。その建物を紹介します。
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今治市公会堂
天守閣
大本営の跡
 現存する建物が二の丸と天守のみで少々寂しい感じはしますが、関わってきた人物たちの
エピソードや遺構などまだまだ知らない所が多くありそうです。
昭和30年前後コンクリートで復元された天守の多くはコンクリートの耐用年数を過ぎよう
としています。
広島城も劣化が進んでいるようなので今後の劣化対策をどのように進めていくのか気になる
所です。
天守閣の北東にある石垣。福島正
則が未完成であった広島城の整備、
拡張を幕府の許可が下りる前に行
い幕府から破却の命令を受け形式
的に壊した跡とされるものです。
この石垣は切込接(きりこみはぎ)
という石垣で表面に出る角や面を
平たく叩いて削り積んだもの。
この奥の方の石垣は自然石をその
まま積んだ野面積みとなっていま
す。
『比翼入母屋造』とは入母屋造りを前後2つ並べたものの様式をいいます。
余談ですが、この入母屋の上部に千木と呼ばれる部位があるのですが、この千木の形状で
祀られている神様が男性か女性かを見分けることができるのをご存じでしょうか?写真で
は千木の先端が垂直方向にカットされています。これは男性の神様である事を意味します。
女性の場合は千木の先端が水平方向にカットされていますので、参拝される際には確認し
てみて下さい。
千木の先端
 1つ目は北九州市旧大阪商船です。
1999年に国の登録有形文化財に指定された建
築物で、構造形式は木造・一部レンガ型枠コンク
リート造2階建です。大阪商船の門司支店として
1917年に建築されたもので、八角形の塔があ
るのが特徴の建築物です。
この塔はドイツ・オーストリアで開花したゼツェ
シオンの影響を受けたとされています。当時は化
粧レンガの色鮮やかさとヨーロッパ風の塔を持っ
たこの建物は門司港の象徴的な建物だったそうで
す。
《北九州市旧大阪商船》
野面積み
切込接(きりこみはぎ)
本 殿
入母屋部分