■コミュニケーションスペース
~広島を見守り続けた広島城天守~



現在博物館として使用している天守は今年の3月22日に閉城します。
閉城の理由としては、現在の天守閣は3代目で鉄筋コンクリート造60年以上経っていることから、コンクリート老朽化による耐震に問題があり、閉城することになりました。
広島城が閉城するタイミングで広島市街の景色を見てきました。
2026.02.13



それぞれ建築された年代は違いますが広島城天守も原爆からの復興、今の広島市街地を戦国時代から姿は変わっても街の変化や人の変化を見守り続けている唯一の建物だと思います。現在だと広島城の周辺にはビルが建設されていて遠くまで見渡せませんが、原爆が投下される前の広島だと遠くも見え、城下街の賑わっていた様子を見渡すことができたのだと思います。
閉城後の復元作業は令和8年2月時点では、木造なのか鉄筋コンクリート造、どのように建て替えるのかは決まっておらず、今後も広島市が検討会議を行い、方針を決めるそうなので、引き続き広島市の情報をチェックしていきたいと思います。今後の広島城天守は閉城したからすぐに取り壊すとのことでは無いそうなので閉城後も当分の間はいつもの風景だと思います。
現在の広島城天守の内部に入れるのはあと1ヶ月少々なので、移り変わる広島の風景を観てはいかがでしょうか。
閉城後の復元作業は令和8年2月時点では、木造なのか鉄筋コンクリート造、どのように建て替えるのかは決まっておらず、今後も広島市が検討会議を行い、方針を決めるそうなので、引き続き広島市の情報をチェックしていきたいと思います。今後の広島城天守は閉城したからすぐに取り壊すとのことでは無いそうなので閉城後も当分の間はいつもの風景だと思います。
現在の広島城天守の内部に入れるのはあと1ヶ月少々なので、移り変わる広島の風景を観てはいかがでしょうか。
現在は復元されている天守は3代目なのですが、初代は毛利輝元が天正20年(1592年)頃築城され、350年程たった昭和20年(1945年)8月6日原爆によって倒壊して姿を無くしました。
2代目は昭和26年(1951年)に木造で、体育文化博覧会の目玉として再建されたそうですが、仮設のため、解体され、現在の3代目は昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート造で復元されました。
3代目の広島城天守の最上階からは、広島市街地の変化がわかる建物を望む事ができます。
西側には、2年前中央公園に開業したエディオンピースウィング広島が望めます。
東側は遠くに広島駅の再開発されたビルなどを望むことができます。
南側には、変化していく広島市街と奥に原爆ドームが望めます。
2代目は昭和26年(1951年)に木造で、体育文化博覧会の目玉として再建されたそうですが、仮設のため、解体され、現在の3代目は昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート造で復元されました。
3代目の広島城天守の最上階からは、広島市街地の変化がわかる建物を望む事ができます。
西側には、2年前中央公園に開業したエディオンピースウィング広島が望めます。
東側は遠くに広島駅の再開発されたビルなどを望むことができます。
南側には、変化していく広島市街と奥に原爆ドームが望めます。
天守南側眺望
(紙屋町方面)
(紙屋町方面)
天守東側眺望
(縮景園・広島駅方面)
(縮景園・広島駅方面)
天守西側眺望
(ピースウィング方面)
(ピースウィング方面)
広島城天守
原爆からの復興、広島市街地の変化を長らくシンボルとして見守り続けた街の中心にある広島城天守は、広島に住んでいるとご存知だと思います。現在博物館として使用している天守は今年の3月22日に閉城します。
閉城の理由としては、現在の天守閣は3代目で鉄筋コンクリート造60年以上経っていることから、コンクリート老朽化による耐震に問題があり、閉城することになりました。
広島城が閉城するタイミングで広島市街の景色を見てきました。
大阪・関西万博 観光レポート
~夢洲のインフラ整備と「大屋根リング」の設計思想~





本万博については様々な意見がありますが、今回は実際に現地を訪れた立場から、特にインフラの整備や建築の視点に着目し、「夢洲駅」と「大屋根リング」についてご紹介します。
1夢洲駅:大量輸送を支える「滞留させない」設計
まず、万博に合わせて整備された夢洲駅についてです。
会場の玄関口となる本駅は、たくさんの来場者をスムーズにさばくための工夫が随所に見られました。コンコースや改札周辺は広く確保されており、滞留を抑える空間構成となっています。
動線は非常にシンプルで視認性が高く、初めて訪れる人でも迷うことなくゲートへ向かうことができます。実際に私が訪れた際も、人の流れに沿って進むことでスムーズに入場をすることができ、約15分程度で入場できました。
また、階段や出入口の配置についても人の流れが分散されるよう計画されており、大規模イベントにおける人流制御の考え方がよく表れていると感じました。
なお、会場へのアクセス手段としてはバスとメトロの複数ルートが計画されていましたが、訪問時にはバスの予約が取れず、結果としてメトロ利用に来場者が集中している状況でした。こうした輸送手段の利用状況も含め、ピーク時における人流の集中度や想定人数の設定については、今後の大規模イベントに向けた検討要素の一つであると感じました。
~夢洲のインフラ整備と「大屋根リング」の設計思想~
2026.04.10





3夢洲の今後と期待
本エリアでは万博終了後、統合型リゾート(IR)を含めた開発が計画されています。今回整備された鉄道や基盤施設は、万博のためだけでなく、今後の都市機能を支える基盤として整備されているものです。
また、終了後の大屋根リングの再利用についてはメディアでも様々な意見が見られますが、例えば災害時の備蓄資材としての活用など、一定の役割を持たせることができれば、万博のテーマである「いのち輝く未来社会のデザイン」にもつながる可能性があると感じました。
万博という一時的なイベントを契機に、将来のまちづくりへとつなげていく点は非常に興味深く、今後どのように発展していくのか注目されます。
今回の視察を通じて、夢洲は単なるイベントの会場ではなく、将来の都市形成を見据えた重要な拠点であると感じました。今後の開発によりどのように変化していくのか、次に訪問する時が非常に楽しみです。
本エリアでは万博終了後、統合型リゾート(IR)を含めた開発が計画されています。今回整備された鉄道や基盤施設は、万博のためだけでなく、今後の都市機能を支える基盤として整備されているものです。
また、終了後の大屋根リングの再利用についてはメディアでも様々な意見が見られますが、例えば災害時の備蓄資材としての活用など、一定の役割を持たせることができれば、万博のテーマである「いのち輝く未来社会のデザイン」にもつながる可能性があると感じました。
万博という一時的なイベントを契機に、将来のまちづくりへとつなげていく点は非常に興味深く、今後どのように発展していくのか注目されます。
今回の視察を通じて、夢洲は単なるイベントの会場ではなく、将来の都市形成を見据えた重要な拠点であると感じました。今後の開発によりどのように変化していくのか、次に訪問する時が非常に楽しみです。
2大屋根リング:回遊性を生む「インフラとしての建築」
会場内のパビリオンは事前予約制が多く、訪問時にはほぼ満杯であったため内部の見学はできませんでした。
その中で、時間をかけて見ることができたのが会場のシンボルである「大屋根リング」です。
この構造物は単なる日除け・雨除けのための屋根ではなく、会場全体をつなぐ役割を持っています。円環状の形状とすることで、来場者が自然に回遊できる動線が形成されており、人の流れを分散させるインフラとして機能していました。
実際に歩いてみると、リングに沿って人の流れが生まれ、特定の場所に集中しにくい構成になっていることが体感できました。一方で、来場者数が20万人規模となると常に人とすれ違う状況となり、移動の際には周囲への注意が必要な場面も見られました。大規模なイベント特有の状況ではありますが、空間設計や想定人数の考え方については、今後の検討の余地もあると感じました。
また、夜間にはライトアップが行われ、昼間とは異なる雰囲気を楽しむことができます。木材が照らされることで温かみのある空間となり、※構造物としての力強さと演出が両立されている点が印象的でした。
※伝統建築を踏襲し、木架構は柱梁接合部を貫接合としたラーメン架構にラグスクリューボルトや鋼板等で改良した改良型貫接合工法を開発し、「現代の貫」として採用している。
※外周直径が約674m、幅約32m、周長約2km、高さ約20mの世界最大の木造建築物としてギネス世界記録に認定されている。
会場内のパビリオンは事前予約制が多く、訪問時にはほぼ満杯であったため内部の見学はできませんでした。
その中で、時間をかけて見ることができたのが会場のシンボルである「大屋根リング」です。
この構造物は単なる日除け・雨除けのための屋根ではなく、会場全体をつなぐ役割を持っています。円環状の形状とすることで、来場者が自然に回遊できる動線が形成されており、人の流れを分散させるインフラとして機能していました。
実際に歩いてみると、リングに沿って人の流れが生まれ、特定の場所に集中しにくい構成になっていることが体感できました。一方で、来場者数が20万人規模となると常に人とすれ違う状況となり、移動の際には周囲への注意が必要な場面も見られました。大規模なイベント特有の状況ではありますが、空間設計や想定人数の考え方については、今後の検討の余地もあると感じました。
また、夜間にはライトアップが行われ、昼間とは異なる雰囲気を楽しむことができます。木材が照らされることで温かみのある空間となり、※構造物としての力強さと演出が両立されている点が印象的でした。
※伝統建築を踏襲し、木架構は柱梁接合部を貫接合としたラーメン架構にラグスクリューボルトや鋼板等で改良した改良型貫接合工法を開発し、「現代の貫」として採用している。
※外周直径が約674m、幅約32m、周長約2km、高さ約20mの世界最大の木造建築物としてギネス世界記録に認定されている。
写真2 夢洲駅 出入口階段
写真4 大屋根リング 内部
写真6 大屋根リング内部(夜間)東ゲート側から見る
写真5 大屋根リング内部(夜間)
写真3 大屋根リング 東ゲート側から見る
写真1 夢洲駅 コンコース
昨年10月、開催終盤を迎えた大阪・関西万博の会場を訪れました。当日は20万人を超える来場者が訪れており、会場は大きな賑わいを見せていました。本万博については様々な意見がありますが、今回は実際に現地を訪れた立場から、特にインフラの整備や建築の視点に着目し、「夢洲駅」と「大屋根リング」についてご紹介します。
1夢洲駅:大量輸送を支える「滞留させない」設計
まず、万博に合わせて整備された夢洲駅についてです。
会場の玄関口となる本駅は、たくさんの来場者をスムーズにさばくための工夫が随所に見られました。コンコースや改札周辺は広く確保されており、滞留を抑える空間構成となっています。
動線は非常にシンプルで視認性が高く、初めて訪れる人でも迷うことなくゲートへ向かうことができます。実際に私が訪れた際も、人の流れに沿って進むことでスムーズに入場をすることができ、約15分程度で入場できました。
また、階段や出入口の配置についても人の流れが分散されるよう計画されており、大規模イベントにおける人流制御の考え方がよく表れていると感じました。
なお、会場へのアクセス手段としてはバスとメトロの複数ルートが計画されていましたが、訪問時にはバスの予約が取れず、結果としてメトロ利用に来場者が集中している状況でした。こうした輸送手段の利用状況も含め、ピーク時における人流の集中度や想定人数の設定については、今後の大規模イベントに向けた検討要素の一つであると感じました。
念願の富士登山




3泊4日の2日目と3日目を富士山で過ごす計画だったのですが、1日目の宿泊先となった河口湖付近でも標高800m程ある為、コンビニの商品が気圧で大きくなっていたり、周囲を見渡せば視界に富士山が入ってくるなど、平地では経験しない日常が広がっていました。
2026.06.12




1回目の富士登山で御来光が見ることができ、目標が達成できたのは良かったです。
その後は富士山頂上の火口をぐるりと一周する「お鉢巡り」を行いましたが、火口周囲もアップダウンが激しく1時間以上は掛かるものでした。
ここまであまり触れてこなかったのですが、富士山は標高に比例して物価が上がります。
山小屋で売られている水やカップラーメン、その他の備品など麓からの運搬費を考慮した結果だと思われます。
中でも特に費用が掛かってくるのがトイレの利用代です。
これも目安で、5合目100円→6~9合目200円→10合目300円のように標高に比例して料金が上がっていきます。
如何に山では水が貴重なのかを金額をもって思い知らされました。
下山ルートも頂上でいくつかに分かれています。
同じ頂上からルートを変えるだけで麓に辿り着いた際に、静岡県なのか山梨県なのかという違いが出てくる為、それほど縦にも横にも大きい山なのだという事を再認識しました。
登山は単純に標高が高ければ難易度が高くなるというわけではありません。
ですがやはり高い場所から見る景色は達成感があります。
次は海外の山なども視野に入れていきたいと思います。
その後は富士山頂上の火口をぐるりと一周する「お鉢巡り」を行いましたが、火口周囲もアップダウンが激しく1時間以上は掛かるものでした。
ここまであまり触れてこなかったのですが、富士山は標高に比例して物価が上がります。
山小屋で売られている水やカップラーメン、その他の備品など麓からの運搬費を考慮した結果だと思われます。
中でも特に費用が掛かってくるのがトイレの利用代です。
これも目安で、5合目100円→6~9合目200円→10合目300円のように標高に比例して料金が上がっていきます。
如何に山では水が貴重なのかを金額をもって思い知らされました。
下山ルートも頂上でいくつかに分かれています。
同じ頂上からルートを変えるだけで麓に辿り着いた際に、静岡県なのか山梨県なのかという違いが出てくる為、それほど縦にも横にも大きい山なのだという事を再認識しました。
登山は単純に標高が高ければ難易度が高くなるというわけではありません。
ですがやはり高い場所から見る景色は達成感があります。
次は海外の山なども視野に入れていきたいと思います。
私達が山頂に着いたのは5時頃で、日の出前一番山頂が混む時間でした。
実際9合目を登っている時は登山者で渋滞が起こっており、立ち往生する事もありました。
実際9合目を登っている時は登山者で渋滞が起こっており、立ち往生する事もありました。
ただ、山小屋での一番の問題は睡眠でした。
他人の音や寝袋の枕が理由ではなく、恐らく寝る時間の問題だと感じました。
先ほど記載した通り、日の出に合わせて深夜0時から登山を再開する計画だった為、逆算すると17時や18時に就寝する必要がありました。
しかし、いくら体に登山の疲れはあっても普段そのような時間に就寝する習慣がない為、結局目を閉じて体を休めるだけで一睡もできませんでした・・・
これは私や友人達だけでなく、他の深夜出発組の登山者達も同じだったみたいです。
また先ほど気温について述べましたが、0時過ぎに出発する際は日が無い+高い標高という組み合わせにより、7月でも5℃程度の気温となり、防寒着は必須でした。
登り始めは良かったのですが、頂上付近では岩場で足元も良くない上、睡魔も襲ってき、人生で一番眠たかったと思います。
他人の音や寝袋の枕が理由ではなく、恐らく寝る時間の問題だと感じました。
先ほど記載した通り、日の出に合わせて深夜0時から登山を再開する計画だった為、逆算すると17時や18時に就寝する必要がありました。
しかし、いくら体に登山の疲れはあっても普段そのような時間に就寝する習慣がない為、結局目を閉じて体を休めるだけで一睡もできませんでした・・・
これは私や友人達だけでなく、他の深夜出発組の登山者達も同じだったみたいです。
また先ほど気温について述べましたが、0時過ぎに出発する際は日が無い+高い標高という組み合わせにより、7月でも5℃程度の気温となり、防寒着は必須でした。
登り始めは良かったのですが、頂上付近では岩場で足元も良くない上、睡魔も襲ってき、人生で一番眠たかったと思います。
※ビニールの中には朝食が入っています
私達は1日目、標高3,000mにある東洋館という山小屋に泊まり、深夜0時過ぎに山小屋を出発、日の出のタイミングに合わせて頂上に辿り着くというスケジュールを組んでいました。
山小屋はロッジのような雰囲気で、板一枚とはいえ仕切りとカーテンのついた個室に寝袋となっていた為、大広間のような山小屋に比べて快適に過ごせ、食事も美味しかったです。
山小屋はロッジのような雰囲気で、板一枚とはいえ仕切りとカーテンのついた個室に寝袋となっていた為、大広間のような山小屋に比べて快適に過ごせ、食事も美味しかったです。
富士山を登る際はいくつかのルートがあるのですが、私達は吉田ルートというルートを選択しました。吉田ルートは他のルートに比べて山小屋が多く、登山道と下山道が別になっているのが特徴です。
どのルートも五合目と呼ばれる2,200mあたりからのスタートになるのですが、急な標高の変化に体を慣らす為、五合目で1時間程留まるのが推奨されています。
登山道は森林限界という植物が生育できない標高の為、岩場と赤い砂利道が続いていきます。
気温については「標高100m上昇ごとに約0.6℃低下」と言われており、動いている際は暑いのですが、休憩などで動きを止めると「汗が引く→寒さを感じる」事は山にいる間多く感じました。
前回、私がブログを担当した際に「富士山に登る」という予定がある事を少し記載したので、今回は昨年友人達と実際に登ってきた時の事を書かせて頂きます。どのルートも五合目と呼ばれる2,200mあたりからのスタートになるのですが、急な標高の変化に体を慣らす為、五合目で1時間程留まるのが推奨されています。
登山道は森林限界という植物が生育できない標高の為、岩場と赤い砂利道が続いていきます。
気温については「標高100m上昇ごとに約0.6℃低下」と言われており、動いている際は暑いのですが、休憩などで動きを止めると「汗が引く→寒さを感じる」事は山にいる間多く感じました。
3泊4日の2日目と3日目を富士山で過ごす計画だったのですが、1日目の宿泊先となった河口湖付近でも標高800m程ある為、コンビニの商品が気圧で大きくなっていたり、周囲を見渡せば視界に富士山が入ってくるなど、平地では経験しない日常が広がっていました。


